びるだんストーリー歴史を探訪~東近江市蛭谷町~

びるだん物語

びるだんストーリー

立山連峰の北端、新潟、長野の境、
朝日岳を背にいただく定倉山を源に、
小川がごうごうと流れる。
海に向かい右手に蛭谷地区はつづく。
小川温泉をへてまだ山間が残るところに「びるだん」の村はある。
人々は蛭谷村をそう呼ぶ。

1670年頃には蛭谷村の村御印、越中旧事記にはヒル谷の名、
1695年頃にも加越能文庫に「中折紙少々漉申候 蛭谷村」とある。
開祖は、肥前長崎より来たものと伝わる。
また東近江蛭谷より轆轤、木地師が良質の木を求め1550年頃に飛騨へ、
漆師と共に金山で栄えた魚津鹿熊・松倉をへて、
1642年頃には魚津片貝の平沢の木地屋へと移動し、
1800年頃に朝日町蛭谷の川向の棚山へ来たという。
いずれにしても遠い昔の伝えとなった。

びるだんには、四ッ組椀の基準となるナカをつくる中屋の屋号が今もある。
棚山には魚津片貝の平沢を姓に名乗り、大屋という屋号のものがいた。
棚山を下る羽入には、木地師と縁の深い「たたら」の地名がある。
しかし今はもう木地師の姿はない。

びるだんの男たちは炭焼きとして木を求め木地師のごとく、
新潟、長野の山中へと分け入った。
女たちは冬の日、競うように紙漉きを生業とした。

今もその面影を
蓮如上人とも縁深いと伝わるバタバタ茶、
多くの画人に愛されたびるだん和紙に残す。

「びるだん」には語り継ぎたいことがある。

びるだん物語>びるだんストーリー